『南海トラフ地震の真実』を読んだ

昔からどうも納得いかなかったものに,地震の発生確率がある.ニュースの冒頭,自治体の防災サイト等々,南海トラフ地震の話が出るところ,必ず「今後30年以内に70~80%」という「確率」が出てくるのだが,これは一体何なのだろう.


南海トラフと根室沖の巨大地震 発生確率80%|災害列島 命を守る情報サイト|NHK NEWS WEBより引用.)

確率と称している以上,何らかの確率モデルを仮定しているのだろうが,たかだか数回分の記録しかない大地震の正しいモデルなぞ,一体どうやって見つけたのか.奇跡的にモデル自体は正しいとしても,モデルには何らかのパラメータがあるはずだが,それを推定するサンプルも数回分しかない訳で,どうやったら70~80%という比較的精度の高い予測ができるのだろう?普通にやったら5%~95%というような,まるで意味がない幅が出そうなものだが・・・.


思えば東日本大震災あたりからなんとな~くモヤっとしていたのだが,2019年,本書の著者が中日新聞で連載した記事により,謎が一気に解けた.なんのことはない,特に根拠のない確率モデルを用いて,数回しかないサンプルでパラメータをエイヤッと決め,それが世に出たのである.しかも,モデルは南海トラフ地震の確率が高くでるよう恣意的に選ばれていたという裏事情も明るみになった.

www.chunichi.co.jp

本書は,2019年の連載と2022年の続編とをまとめた本である.約250ページあるが,テンポのよい物語形式のおかげで一気に読めた.ちょっと文章だと理解が難しいなと感じてページをめくると,必ず図表が用意されていた点に,著者の配慮を感じた.一点不満があるとすれば,タイトルのせいで怪しい陰謀論系の本にしか見えないことである.


私は大人がケンカしている会議の議事録を読むのが好きなのだが,本書にもそんな場面がある.現行の確率モデルに疑問を持った地震学の委員が,別のモデルによる確率(現在の値よりもっと低くなる)もあわせて公表するよう提案したら,防災関係の委員から猛烈に反対されて却下されてしまうのだ.

「東海・東南海・南海に向けての対策は実務者レベルでも,地方でも,全部動いているわけです.何かを動かすというときにはまずお金を取らないと動かないんです.これをやっと今,必死でやっているところに,こんな(確率を下げる)ことを言われちゃったら根底から覆ると思います」
(同書90ページより引用.強調筆者)

予算が取れないからとは,あまりに率直で恐れ入った!どうもこの防災側委員はゼネコンや政府の委員会を渡り歩いてきた人物だそうで,実際は文章よりずっと迫力があったのだろう.研究者にはなかなかいないタイプだ.地震学者がすっかり圧倒されて意気消沈したのも分かる気がする.


とはいえ,そもそも確率モデルを用いて「大地震の発生確率」なるものを評価できると言い出したのは地震学側だそうである.防災側からしたら,信じてたのにそりゃないよ!となるのは分からなくもない.本書によると,このような地震予測」は他の地震研究に比べて予算が取りやすく,何かと「地震予測」に関連付けて予算を取ることが常態化しているという.

私は情報系の研究をしていて,地震は門外漢だが,情報系でいうところのAIや量子といったバズワードのイメージだろうか*1.予算のとりやすいバズワードにからめて申請書のストーリーを立てるのは,私とて全く心あたりが無いわけではない・・・.


だが,さんざん予算を取ってきた手前,今更「確率」がホラであるとは地震学側も強く言い出せないようである.すでに,政府・自治体の防災計画,教科書,マスコミなどあまりに世間に広まりすぎており,政府も今更ホラでしたとは言い難い.偶然にも科研費シーズンのいま,最初に大風呂敷を広げすぎると後々首が回らなくなってくるというのは,遠くの異分野のお話ながら,なんとも身につまされる話であった.*2

*1:無論,真面目なAI研究・量子コンピュータ研究もあるのだが,こういう政府から大金が投入される研究分野は有象無象が集まり玉石混交になっていくのが定めである.私の専門の組合せ最適化と量子だとすでにこんな感じ: tasusu.hatenablog.com

*2:まぁ,私の研究と地震の「確率」では社会的影響のスケールが全然違うのだが・・・.