伏見行った

今日は暑かった。伏見稲荷は広い。全部回ろうとしたら、たぶん1日かかると思われる。初詣の参拝客はどこまで行って帰るんだろう。

なぜ数学の定理は覆ることがないのか

こちらのはてなの質問からの話題。
自分なりの考えを言うと、数学は「ある公理を仮定した体系で、どんな性質が成り立つのか」を研究する学問だと思う。例えば微積だったら、実数の性質(連続性とか)を公理として仮定すると、ああだこうだと成り立つ、とか。だから、数学がいえるのは「その公理を認めると、ああだこうだ」の部分まで。公理が、正しいかか正しくないかはもっと別の問題になる。

対して、自然科学はまず現象が目の前にあって、それを説明するために理論を立てる。だから、何か理論の前提をつくった場合はそれを確かめなくてはならない。その確かめる手段が観測。だけど、観測は有限の範囲でしか行えないので、何度繰り返しても「前提は正しいと思う」までしか言うことができない。たとえ、100万回同じ結果が出ても、100万1回目で覆る可能性は否定できない。*1 ここが自然科学に常に覆る可能性のある原因である。

ところで、「数学は自己の無矛盾性を自分自身で証明できない」というゲーデルの不完全性定理というのがある。*2 ちょうど、「『自分が嘘をついていない』ことを自分一人では証明できない」のと同じ(だと思う)。厳密に正しい証明をやって、矛盾する定理Aと定理Bが証明されたら、そのときは数学者は途方に暮れるわけですね。アイヤ。

*1:「覆る可能性は非常に低い」というごまかしはできる

*2:不完全性定理なので、数学的に証明されている。ちなみに量子力学の「不確定性原理」とは無関係