格差社会論

今日は堅いぞー!

格差社会

最近「格差が広がっている」「二極化」といった言葉が取り上げられる。曰く、近年の規制緩和等の影響で「負け組」「勝ち組」の差がはっきりしてきた、云々。最近の「小さな政府」の概念に対抗する概念である。そしてマスコミはこぞって「格差社会の到来」を書き立てている。
私に言わせれば、彼らの言う「格差社会」など真の格差社会ではない。真に警戒すべき格差社会とは、どんなに努力しても絶対に既得権に勝てない社会のことである。対して今言われている「格差社会」とは、努力して勝った者は豊かになり、勝負に敗れた者は豊かになれないという、ごくごく当たり前の社会である。なぜこれが困るのか。
私はむしろ「格差社会」の方が恐ろしい。それはいくら努力をしても「平均」から脱出できない、努力の報われない社会である。そして、そういった社会が社会全体で負け組になってしまうのは、前世紀の社会主義の失敗が証明している。
つまり、日本が長い平成不況からようやく脱出しようとする中、努力を重ねいち早く成功した「勝ち組」が出て来ている。それを、努力しない「負け組」が「置いて行くな」と足を引っ張っているのが今の構図である。
しかし「負け組」が本当にどうしようもない「負け組」であるかと言えば、決してそんなことはない。彼らは概して努力しない。自ら負け街道一直線の人々である。そんな彼らから見て「格差」が広がって見えるのはしごく当然である。
日本社会には「他人の成功を妬む」風潮がある。しかし「みんなで一緒に豊かになる」のは不可能だし、矛盾する。だいたい「豊か」であることは相対的価値観なのだから、「みんな一緒」だったら「豊か」とは言えない。「格差社会」はそんな日本の古い概念から出た変化球なのかもしれない。