自分とBack to the future

私の計算が正しければ―――2015年10月21日は,“Back to the future: Part 2”でドクとマーティがデロリアンで「未来」に降り立ったまさにその日だ*1.この記念すべき時に,自分とBack to the future (BTTF)の思い出について書いておきたい.


自分がBTTFを初めて観たのは小学校低学年頃であったように思う.父親がレンタルビデオ店で借りて見せてくれた中の1本だったのだろう.幼い自分は,魅力的なキャラクター,タイムマシンという概念,科学の夢と希望にあふれた世界にすっかり魅了された.今思えば,BTTFは自分を科学に目覚めさせた「事件」であった.

もちろん,小学生はこういう映画に感化されやすいものだから,科学以外にハマったものはいくらでもある.しかし,不思議なことに,他のものは飽きてしまっても,科学に飽きることは全くなかった.当然のように科学クラブに入り,家では色々な家庭実験を試し,図書館に行ってはちょっと高級な科学本を(分からないなりに)読んだ.もちろん,小学校の「将来の夢」にはドクに憧れて「科学者」と書いた.中学に入っても,初日の自己紹介では「好きな映画はBTTFです」と言い,「理科だけは誰にも負けまい」と勉強していたのを覚えている.


BTTFに出会って以来,科学への憧れはずっと自分の人生の指針となってきた.いつの間にか,自然科学から計算機科学と数学に興味が移ったものの,今は情報系の博士課程で「科学者」を目指している.ドクは自身を「科学者」と言っていたけれど,実態としては「発明家」という感じだから,自然科学ではなく工学寄りの計算機科学を志したのは,やはりドクが自分の原点にあったせいかもしれない.

劇中の2015年で描かれ,実際の2015年で実現した(もしくは凌駕した)テクノロジーを眺めてみると,コンピュータの進歩が目立つ.ホバーボードは実現せずとも,ドローン・小型カメラ・テレビ電話などは現実の2015年の方が優れているし,BTTFの2015年にはインターネットも携帯電話もなかった.情報技術の進化はBTTFの予想を超えていた.そんな,情報技術に関わる「科学者」の端くれとして,BTTFの「未来」の後の未来を作っていく仕事をしていきたいと思っている.ドクも言っていたように,未来は自分で切り開くものである.

*1:ちなみにドクが時空転移装置を思いついたのは1955年11月5日で,自分の誕生日と同じ日